過去、ある種の終わり








 降り注ぐ雨が舞い上がった塵埃を鎮め、その雨が汚れた川を作り出す。分厚く黒い雨雲で太陽光は遮られ、明かりを灯す機能を失った電灯が闇に熔ける。
 晴れていたならば、沈み始めた日が西の空に浮かぶ頃だろうか。
 砕けたアスファルトの隙間を黒い川が走り、どこかに開いているであろう大穴に流れ込む。ほんの数日前までには活気のある人々で溢れていた公道は、今となってはもう見る影も無い。
 所々に穴が開いて半分ほどの高さになった高層ビル、真ん中から左右二つに割れた建築物、プレス機に掛けられたスクラップのようになっている車。全ては人の栄華を象徴する物であった。
 あちこちから上がる火のでは我が物顔で燃え盛る。
 それを鎮めようとする者もいなければ、気にする者もいない。
 例えいたところで、その必要は既に無いだろう。最早、完全に崩してしまった方が早く再建できる。
 誰もいなくなった街は、既に破壊されたの一言に尽きる状態だった。
 黒い雨が降る中、女は積み上げられた瓦礫の山の上に座っている。
 その姿は、あまりにも文明の開けた現代のものとはかけ離れていた。どこか機械的な印象を受ける白い鎧に身を包み、腰まで届く銀色の髪、多くは露にしていない肌も雪のように白い。手には15cm程度の棒状の物とバイザーを持ち、背中の近くにはどういう原理か、折りたたまれた羽のような物が浮いている。
 白い鎧と肌、銀の髪を黒く犯す雨を気にかけることなく独り在り続ける。
 焦点を合わせていない目は虚ろで、少しでも雨足が激しくなれば消えてしまいそうな存在。
 どれほどの時間彼女は雨に打たれていたか、唇は紫に変色し、顔色も悪い。
 不意に、音を立てて瓦礫の一狽ェ崩れ、黒い泉に落ち、跳ねた。
 視線は知らず知らずの内に崩れる瓦礫を追い――そこにいた男を初めて捉えた。
「こんなところにいては風邪をひいてしまうぞ」
 彼女が気づいたのを知ってか、男が場の空気に沿わぬことを言う。彼女は聞こえていないのか、何の反応も示さない。
「気持ちは分からんでもないが……君がそんなことでどうするかね」
 無反応を反応と取ったのか、男は続ける。
 全く濡れていない背広を着た、長身老体の男。体躯と姿勢が良く、髪は全て白髪で、顎には自慢の白髭を生やしている。自らを【素敵紳士(ダンディ・ジェントルマン)】と名乗る、人ではない人の形をした何か。
 降り頻る雨は、【素敵紳士】を避けるように、【素敵紳士】の近くでは蒸発していた。
 否、消滅していた。
 【素敵紳士】へと降り注いだ雨は、彼に触れる前にその存在を否定されている。
 彼は大げさに肩をすくめ、ため息をつくと瓦礫の山を登りだした。
 今にも崩れそうなほど危ういバランスを保っているはずなのに、【素敵紳士】は音も立てずに足を進める。やがて頂上に鎮座する彼女の元にたどり着いた。
 目の前に立っても彼に視線を向けることなく雨に蹂躙される彼女を見て、もう一度ため息を吐く。
「やれやれ、いい加減にしたまえ。綾香くん?」
 血の色をしたネクタイを右手で弄りながら、どこか余裕と気品を感じさせる笑みを浮かべる。
「それとも何かね?君がそうやって塞ぎ込むことで彼が――勇治君が帰ってくるとでも思っているのかね?」
 ぴくり、と勇治という言葉に羽が動いた。遅れてゆっくりと彼女が顔を上げる。
 その眼が彼を捉えたとき、彼は実に満足そうに笑っていた。
「彼の名を出すのは卑怯かもしれんが、正直なところ今の君は見るに耐えんよ」
 自慢の髭を一度だけ撫でると、徐に懐へと手を伸ばし30cm程の長さの――彼女の持っている物に良く似た――杖のような物を取り出した。
 それを手の中で僅かに遊ばせると、綾香へと差し出す。
「コレは君に返しておこう。……できれば二度と使われぬことを願うがね」
 余裕のある笑みを崩さずに【素敵紳士】は言った。
「あ……」
 どのぐらい長い彼女は声を発してなかったのか、冷たくなった体から出る声は力なく、言葉ではない。そもそも、何の意味もない呻きだったのか。
 凍っていた思考が、解けていくように感じた。
「陳腐かもしれんが、元気を出したまえ。……いや、これは私の科白ではないかな」
 綾香にソレを渡すと、一人納得したように呟き、やはり余裕と気品で満ちた笑みを向ける。
「それでは失敬するとしよう。まだまだやることもあるのでな」

 踵を返し、瓦礫の山を下る。
 その背中を、ただ何かをするわけでもなく綾香は見送る。
 男の闇色をした背広は所々に、闇よりも深く彩られた染みができていることに気付く。
 だが、そのことには何の意味も無い。
 声をかけようとも、動こうとも彼女は思わなかった。
 視線だけがただ彼の背中を追い続け、神経はその手に握られている物に注がれている。
 【星の涙スター・ライト・ティアーズ】と【夜の闇ダークネス・ダーク
 一つは彼女が持っていた物。一つは勇治が使っていた物。
 冷え切って、死んだと思っていた心が、刺されたように痛む。
 振り続けた雨が、川を作って、海を作って流れ込む。
 頬に当たる雨が作った跡が、涙を流しているような気がして、張り付いた髪の毛が気持ち悪いと初めて思った。






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