夜月





 放課後、HRが終わってから急いで教室を飛び出した。
 いつもより長引いて、10分ほど遅い。
 全力で走っても、間に合うかどうか、という微妙な時間。
 電車は30分に1本もあれば多いほうだ。つまりは乗り損ねれば、最低でも30分は待つことになる。
 できればそれは避けたかった。
 12月などという寒い季節に、開けたホームに30分も立ち尽くしたくはない。
 とはいえ、ダイヤなど初めから守られていないから、走るだけ無駄になるかもしれない。
 あぁ、もう。
 無駄なことを考えている暇はない。
 今はとにかく一秒でも早く駅に着くほうが優先だ。
 とにかく、走る。
 冷えた喉から鉄のような味が広がってくる気がする。気ケが冷たい。
 滑り込むように駅に入り、改札を潜って、肩で息をする。
 何とか間に合った。多分まだ電車は来てないはずだ。
 適当に呼吸を整えながら、ホームの端を目指す。
 早鐘を打っている心臓も、少しずつ静かになって――また大きく鳴った。
 茜色の夕日を遠景にして、ホームの一番端で、視線を下に俯く少女。
 その姿を視界に収めて意識した瞬間、心臓を射抜かれたかと思った。
 刺されたように、心臓が撥ねる度に鋭く痛む。
 少女の、悲しいような、辛いような、それなのに何にもないような表情が2つの目を通して脳裏に刻まれる。
 周囲にいるはずの人影が、全く見えなかった。
 傾いた太陽の色と、同じ色をしたホームの上に立っている悲しい無表情の少女。
 まるで写真や、絵画を眺めているような気分だった。
 噴き出しているはずの汗も、ひどく酸素を求めているヘずの肺も、気にならない。
 電車が来て、彼女が顔を上げるまで、どれほども時間はなかったが、彼女に見入っていた。
 その視線に気づいてか、振り返り、目が合った。
 条件反射で視線を逸らす。あぁ、もう。何やってんだか。
 彼女は特に気にする様子もなく、電車に乗った。
 何となく、ばつが悪く彼女とは違う車両に乗り込む。
 名前は確か……えぇと、なんだっけ?
 思い出せない。クラスは違ってもわりと有名なんだが。名前が出てこない。
 発車のベルが鳴って、電車が動き出した。ガタゴトと小刻みに揺れる。
 座る席がなくて、ドア付近のパイプに身体を預ける。
 窓の外には沈む夕日と、崩れたまま放置された建築物が見えた。
 赤く染まる壊れた街が、どこか寂し気だった。
 その光景を見て、思い出されるものは、人それぞれかもしれない。でも、なぜそうなったかを考えると、誰もが同じことを思い出すに違いない。
 それはまだ何年とそう昔ではない過去の話だ。


 手短に要約すると、正義の味方がいて、悪の組織があって、その二つがぶつかり合ってはいドッカン。東京を中心としたその戦いは死傷者激多数、行方不明者もやっぱり超多数。正義の味方が警察で、悪の組織がどこぞの大企業程度ならこんなことにはならなかっただろう。
 ところが、正義の味方は宇宙刑事だの改造人間だの超能力者だのとにかく凄い奴らで、悪の組織も怪人なんか作ったり地底からやってきた宇宙人だったり普通の宇宙人だったりとやっぱり荒唐無稽な連中だった。
 そんな奴らが死力を尽くしてぶつかりあったのだ。日本がまだ残っているだけでも運がよかったのかもしれない。
 実際、とんでもない被害だった。人がたくさん死んだとか、そんなのだけじゃなく、本州が二つに割れて、東京の半分が海になった。世界中でもいろいろ起きたらしいが、どこも日本ほどじゃない。
 もともと疲弊し、先の見えなくなっていたこの国は、この一件で完全に先進国からドロップアウトした。今じゃ、自国を立て直すことも難しい。
 そんな状況で、孤児がでないわけがなかった。
 戦いに巻き込まれて親を失った子供。逃げ惑う中で、親に捨てられた子供。食料がなく、力尽きた親の腕に抱かれていた子供。親は生きていても、育てることができないと、置いていかれた子供。たくさんの孤児が出た。
 そして俺も――その内の一人だ。
 俺の場合は、その対戦よりも少し前、小競り合い(と言ってもとんでもない規模だけど)で親を失った。そのときに自分が体験したことなんてこれっぽっちも覚えちゃいないけど、助けてくれた人の、涙を堪えているような笑顔は忘れられなかった。
 それから俺は孤児になった。
 血の繋がっていない誰かと一緒に、血の繋がっていない誰かに育てられる。
 周りには自分より小さな奴もいたし、大きな奴もいた。
 でも、俺とそいつらは違った。
 もう顔も名前も覚えていないけれど、彼らと俺は違う存在として扱われていた。
 皆がどこかに連れて行かれたのに、俺はずっとそこにいた。
 新しい奴らが入ってきて、また連れて行かれる。何回も、何回も繰り返していた。
 そんなことがずっと続いてたある日、俺のところに一人の男がやってきた。
「君の名前はなんというのかね?」
 黒いスーツを着たその男は白い髭を自慢気に撫でながら訊いてきた。
 ――知らない。忘れた。
 俺の答えは簡単で、男の顔を歪ませるには十分だったらしい。
「それは悲しくないかね?」
 男は俺の頭に手を置きながら言う。
 ――なんで?
 訊き返した俺の瞳は真直ぐに男の目を捉えていて、男も視線を外さなかった。
「そうか、では君に名前をあげよう」
 どういった解釈からか、男はわしわしと頭を撫でた。
「そうだな、ヤヅキ。夜の月とかいて夜月だ」
 そのとき、俺はどんな顔をしたのか覚えていない。
 ――ヤヅキ?
 俺が繰り返すと、男は満足そうに笑い、
「そうだ。君は今日から夜月。すめらぎ 夜月やづきと名乗るがいい」
 名前とはいいものだろう、男はそういって強く俺の頭を撫でた。
 そして俺は――皇 夜月になった。


 電車が停まる。
 流れるように人が降りていった、俺の降りる駅はまだ先だ。


 相変わらず俺は孤児の集められた施設にいた。
 そこが普通の施設ではないことぐらい、すぐに気が付いていたが気にはしなかった。
 短い間だけれど、友達もできた。
 その友達がどこかに連れて行かれて、新しい友達がやってくる。
 どのぐらい繰り返しただろう?
 出会っては別れ、また出会う。
 そんな繰り返しの中で、一人の少女と出会った。
 俺よりも少し年下の、やせ細った女の子だった。
 彼女とも、いつものように友達になった。
 ――ねぇ、君の名前は?
 いつものように俺は訊いた。
 彼女は何も答えない。
 ――名前は?ないの?
 いつものように俺は訊いた。
 僅かに少女は頷く。
 いつものことだ。
 ここに来る奴はみんな名前がない。
 昔にいた奴も、考えてみれば名前を覚えていないのではなくて、名前がなかったのだろう。
 だから俺は彼女に名前をつけた。
 ――じゃあ今日から君はセイカ。星に花ってかいて星花。
 ボロボロになった辞書を片手に、言葉を調べながら俺は呼ぶ。
 ――セイカ?
 キョトンとした顔で、彼女は繰り返した。
 ――うん、星花。皇 星花。
 ここに来る奴には、名前がなかった。だから、俺がみんなに名前をつけた。
 いつものように。
 ――僕は夜月。皇 夜月。
 そして今度は自分が名乗る。
 ――スメラギヤヅキ?
 控えめに、彼女は言った。俺は大きく頷く。
 ――そうだよ。皇 夜月。僕らはみんな家族なんだ。だからみんな皇。
 俺が勝手にそう言っただけだ。
 でも、彼女も、みんなも笑ってくれた。
 ――うん。
 そして彼女は――皇 星花になった。


 電車が停まる。
 既に日は完全に落ちて、空には丸い月と星が見える。
 人の流れに目を向けると、彼女は降りていた。
 俺の降りる駅は、まだ先だ。


 星花がどこかに連れて行かれる日が来た。
 ――いやだよ。ヤックンが一緒じゃなきゃやだ。
 星花がダダをこねて泣いていた。俺のことをヤックンと読んだのは後にも先にも彼女だけだ。
 ――わがまま言っちゃだめだよ。
 俺は星花を諭そうとする。だけれども、星花は泣きじゃくるばかりだった。
 ――やだやだやだ。
 俺の服の袖を掴んで離そうとしない。
 声を上げて泣いている彼女に強く言い聞かせることはできなかった。
 ――大丈夫だよ。僕らは家族なんだ、すぐまた会えるから。
 嘘だ。
 彼女を納得させるために俺は嘘をついた。
 ――ホント?
 ――うん。
 嘘だ。今までだって、一回も帰ってきた奴はいない。
 ――絶対に?
 ――絶対に。
 ――絶対の絶対?
 ――絶対の絶対の絶対。
 嘘だ。絶対に彼女も帰ってこない。
 ――なら、約束して。
 涙を流すのをやめて、彼女は言った。
 ――約束?
 何を?と俺は聞き返す。
 ――絶対に、また会えるって。
 彼女が小指を差し出した。
 指きりげんまんだ。嘘ついたら針千本飲まされる。
 手を出そうとして、出すのを止めた。
 ――ヤックン?
 星花が悲しそうな顔をする。
 ――約束してくれないの?
 また泣き出しそうになる。俺は彼女の左手を取った。
 その左手の、薬指に、指輪をはめ込んだ。
 ――あ。
 どこで手に入れた指輪かは覚えていない。誰かから、もらった気がする。
 三日月みたいな形をしたモノがデカデカと付いていて、およそ指輪らしくない代物だ。
 それでも――俺と彼女を結ぶ約束になった。
 改めて、俺は小指を差し出す。
 彼女もそれに応じて、小指と小指が結ばれた。
 ――嘘ついたら……
 ――針千本飲―ます。
 約束の内容は、口にしない。ただ指を結んで、
 ――指切った!
 涙をいっぱいに溜めた笑顔で、彼女との思い出は終わりを告げた。



 電車から降りて、夜の道を歩く。
 吐いた息は白くて、切ない。
 とりあえず、寒い。でも走る気にはなれず、身を縮こまらせる。
 空を見上げれば、満月にはなりきれていない丸い月と、無数の星が輝いて、電球の寿命の切れ掛かった街灯がショートでもしているかのような音を立てている。
 人影は見当たらない。
 孤独な夜だ。
 伸びた影が、街灯に会わせて前に後ろに回りこむ。
 吐いた息は白くて、儚い。


 彼女がいなくなってからも、どれだけ同じことを繰り返しただろうか?
 新しい友達ができて、いなくなる。
 そしてまた新しい友達ができる。
 一体俺は、何人に名前をつけたのだろう。
 ボロボロになった辞書は、いつしか見る必要がなくなっていた。
 仲のよくなった友達が連れて行かれた後で、久しぶりにあの男がやってきた。
「元気かね?」
 男は少しも変わらぬ様子で、髭を撫でていた。
「まぁ、それなりには」
 その頃には、俺も随分まともな受け答えができるようになっていた。
「それは何よりだ」
 男はいつものように余裕のある笑みを浮かべる。
「それでは行くとしようか」
 男は踵を返す。
「行くって、どこに?」
 俺は何も理解できずに訊き返した。
「なんだ、知らないのかね。今回限りでここは閉鎖だ」
 男は説明しながらも、歩き続ける。俺は後を追った。
「閉鎖ってなんで?」
「まぁ理由はいろいろだ。それに君とて別れを言う相手も、惜しむ相手もいまい」
 その言葉に、足を止める。
 確かに、俺以外には誰もいない。
 感傷に浸って、離れたくないなんて言う気もなかった。
「俺は、どこに行けばいい?」
 男も足を止め、振り返る。
「少なくとも、彼らとは違う世界だ」
「どこだよ、それ」
 三度問いかけ、男は俺の頭に手を置いた。
「彼らと同じ、絶望を見たいかね?」
 それは、今までの友達全てへの、星花への死刑宣告と同じだった。
 男はそれっきり何も言わず歩きつづけ、俺はどうすることもできずに付いていく。
 周囲の光景なんて少しも覚えていない。
 ただ、視界がぼやけてうねっていた。


 家の鍵を開けて、中に入る。
 ボロくて狭いアパートだが、一人で暮らす分には困らない。
 屋根があるだけ、ましだろう。
 何をするわけでもなく、ひきっぱなしの布団に寝転がる。


 俺は男の元で暮らした。
 男は自らを【素敵紳士】と名乗り、本名は教えてくれなかった。
 男はいつも冗談なんだか本気なんだか分からないことを言っていた。
「悪とは、悪いことをする存在だけではないのだよ」
 もちろん、そんな連中もいる、とも言った。
「勝てば官軍、という言葉があるように勝負に勝ち、覇権を手に入れたものが正義となる。その正義を貫く限りにおいて、それは正義であり、それに立ち向かうものはなんであれ、彼らからすれば悪なのだよ」
 男は皮肉気に笑う。
「だとすれば、私は悪ということになる。どうかね?」
 男はよく俺に訊いてきた。
 でも俺に、答えられるはずがない。
「ふむ、まあいい。それよりも、だ。悪がそういうものであるならば、悪も正々堂々とせねばおかしとは思わんか?自らの信念を正義とする悪であるならば、卑怯なことをするべきではないと」
 男が何が言いたいのかは分からなかった。
 悪は悪いものではない。自らの正義を信じて世界の正義に立ち向かう存在なのだと。
 だけど、分からないけど分かるような気がして、
「卑怯なのは悪いことだろ?だったら信念を持った奴がすることじゃない」
 そう答えた。
 その答えに、男は満足そうに笑う。
 余裕と気品とが混ざり合った笑顔だった。

 電気を消して、瞼を閉じる。
 暗い闇が眼前に迫ってきて、視界を覆う。
 今日はもう寝よう。昔のことを思い出し過ぎた。
 そう思って、布団を被る。
 冬の夜は寒い。






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