星花








 夜が明けて、太陽が見えるのに、外の空気は切り裂くように冷たかった。
 昔のことを思い出したせいで、眠りが浅かったのか、あまり寝た気がしない。
 まぁ、だからと言って学校をサボるわけにもいかないので、いつも通りの時間に家をでた。
 駅に着いて、電車を待つ。
 予定の時間はとうに過ぎているのに、電車はまだ来ていない。
 遅い。
 早く来て置いていかれるよりはマシかもしれないが、時間に遅れるのはなんとかして欲しい。
 こんな状況になる前は、世界で一番時刻通りに電車が動く国だったらしいが……到底信じられない。
 吐く息が白くなって、空へと昇っていく。
 なんとなく、それを目で追った。
 半透明だった白はやがて見えなくなる。
 もう一度だけ、はぁ、と大きく息を吐く。
 まもなく電車がきますというアナウンスが聞こえたのは、その時だった。

 一時間という時間をかけて目的の駅に降り立った。
 毎度のことだが、満員電車というのは酷く疲れる。
 どうしたら、あの、別段広くもない車両に押しつぶされて死んでしまうと思えるほどの圧力になるほど人が乗るのだろうか。全くもって謎セ。
 そもそも乗車率が100%を超えている状態が既におかしい。
 ……まぁ、文句を言ってもしょうがないことなんだけど。
 なんだかやり切れない気持ちでため息を吐くと、まだ少しだけ白かった。
 でもそれも凝視しなければ気づけない程度のもの。
 まぁ、そんなことはどうだっていい。
 これから学校で退屈な授業が始まるのだ、吐いた息が白いとかそんなことよりも暇でしょうがない授業中にいかにして寝ないようにするかの方が遥かに重要な問題である。
 ……別に寝てもいいけど。
 できるだけ、それこそ国の、とは言ってもほとんど諸外国からのものだが、扶助で学校に行っているのだから表向きというか形だけでも真面目にやっておきたい。
 校舎へと続く道を、わざと遠回りしながら余所行きの表情を作る。
 できるだけ地の感情を表に出さず、何があっても涼やかで軽い笑顔を絶やさぬ表情を。
 たっぷりと時間をかけてからやっと校門のところまで辿り着いた。
 周りを見渡せば、ちらほらと見知った顔が見える。
「あら、おはよう」
 その内の一人――高沢たかざわ奈津美なつみが声をかけてきた。
「おはよう」
 可もなく不可もなく、といった挨拶を返す。
「今日は早いね」
「別にそんなことはないけど」
 遠回りをしてきたけど、時計を見れば確かにいつもより早い。
「電車が早かったんじゃない?」
 いつもの時間、というのは特になく適当だけど。
「かー部活も何もやってないのにこんな時間に来るんて……やっぱ優等生だねアンタは」
 奈津美はまるで男のように背を反らせて笑ってみせる。
「奈津美は朝練?」
「まぁね。それよりさ」
 一応皮肉のつもりだったんだけど、と小さく言ってから言葉を続けた。……皮肉だったのか?
「聞いた?モアイの奴今度結婚するらしいよ」
「…………ホントに?」
 モアイというのは社会科教師で、とにかく顔がデカイ。ついでに言うと手もデカイ。大きな口は歯の数は揃っているのに隙間だらけで、誰がつけたあだ名かは知らないが、恐ろしいほど似合っている。
 ちなみに奈津美は剣道部で、モアイは剣道部の顧問だったりする。
「マジマジ。アタシも昨日部活で聞いてさ〜もーなに?言葉もないって言うか、筆舌に尽くし難いっていうか……」
 下駄箱から自分の上履きを取り出しながら奈津美は嬉しそうに話している。
「あのモアイがね〜」
 正直驚く他ないが、本人は幸せになるのだ、別に文句はない。
 奈津美だって冷かしはするものの、本気で笑い話にすることはないだろう。
「でね、写真見せてもらったんだけど相手の人がまたえらい美人でさ」
「へぇ」
「どうやったらモアイとあんなのが出会って結婚までいくのかねぇ?正直不思議で仕方ないんだけど。あ〜あアタシも彼氏欲しいな〜」
「ふぅん」
「でもアレかな?モアイって案外愛妻家っぽくない?意外と家庭円満っていうか」
 こっちが適当に相槌を打っていると、奈津美は一人マシンガントークで話続ける。
「でさ、相原んチで飼ってる犬がこれまた可愛くてさ〜」
 ……いつの間に話が変わったのだろう?
 モアイが美人と結婚するって話じゃなかったっけ?
「その犬の名前ベッキーていうんだけど、もう尻尾とかフワフワで……」
「何でもいいけど、部活は?」
 軽くため息をつきながら、教室まで付いて来ていた奈津美に言った。
 そんなに話に付き合う気分でもなかったし。
「げ、忘れてた」
 やっべ、また後でね!と、慌てて走っていく。
 その背中を見送りながら、もう一度ため息をついた。
 まったく、話に夢中になるのもいいけど、自分の目的を忘れるなんて……
 自分の教室の、自分の席に腰掛けて、カバンから教科書を取り出して机の上に置く。
 後は――その上にうつ伏せになって寝る。
 予習なんてメンドクサイことするはずがない。
 はぁ、と机に突っ伏したままため息をつく。今日はため息が多い。
 多分、朝から奈津美に会ったせいだ。
 彼女はことごとく他人のペースを崩していくタイプで、せっかく作った余所行きの仮面も半分ほど剥げかけている。
 あぁ――でも今朝はまだマシな方か。結局ほとんど奈津美が話してただけだし。
「ったく」
 誰もいないのをいいことに一人で愚痴る。
 ふと視線を上げて時計を見ても、授業が始まるには随分と時間がある。
 もしかすると、誰もいない朝の教室でこうやってボーっとすることはかなり贅沢なことなのかもしれない。
 そんな風に思って、起き上がり、窓の外を見た。
 うっすらと自分の姿が映され、その向こう側に空、そしてグラウンドで練習している野球部の姿が見える。
 練習、とはいってもグラウンドを走り回っているだけだが、冬の今はとりあえずそれ以外にすることがないのだろう。
 何度目かのため息が白くなって天井へと昇っていくのを眺めながら、記憶から呼び起こされる原風景へと意識を向ける。
 昨日の夜もそうだったが、思い出されるのは、顔もよく覚えていない父親についてだ。
 はっきりと分かるような気がするのに、いざどうだったかと考えるとイマイチピンとこない。そんな曖昧な顔をした父親。
 好きだったのかと訊かれれば――十中八九好きだったと言える。
 そう、好きだったと。
 その父が死んだのは、正確にいつかは分からないが、だいたい十二年ほど前になる。
 初めは行方不明だったのだから、いつ死んだかはわからない。でも、確かに死んだのだ。
「……やってられない」
 暗くなりそうな気分を強引に独り言でごまかしてから、思考を戻す。
 父のことを考え始めたら、思いつく限り最後まで考える。それは自分で作ったルールだ。
 深く息を吸い込んでから、キッと窓の外の空に浮かぶ雲を睨みつける。
 多分、そこそこの画にはなってると思うけど……まぁ、どうだっていい。
 幼い頃の記憶にしか存在しない父親。彼が自分にしてくれたことなんてほんの僅かなことだっただろう。実際、そのほとんどを覚えてはいない。
 ただ、何をするにしても父は笑っていた。
 困ったときは困ったように笑い、苦しいときは苦しそうに笑う。
 そして嬉しいときは本当に、本当に嬉しそうに笑っていた。
 今でも、どうすればあのように笑えるのかと思えるぐらいの笑顔だった。
 半透明な鏡に映し出される自分の姿を見て、微笑んでみるが、何だか不適な笑みだったので、すぐに止める。
 朝も早い時間から誰もいない教室で、か。何かといろいろ情景の描写もできるだろうけど、生憎とそんな気分じゃない。
 窓に腰掛けて、足を抱き、征服のポケットに入っていたものを取り出す。
 それは【星の涙】
 恐らく、もっともコレを持つのに相応しくない人物は自分だろう。
 手の中で幾らか【星の涙】を弄んでから、時計の針を見て、ため息――多分15回目ぐらいの――をつく。
 そろそろ、新しい仮面を被り直さなければならない。
「ホント、やってらんない」
 最後に呆れた口調の独り言を吐く。
 さて、今日も退屈な日常という名前の生活が始まる。
 私――真崎星花にとってそれは、退屈だけど大切だと思える、大切にしたいと願える、そんな生活だ。







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