幕間








 闇に閉ざされた世界、光はない。
 地下、何のことはない、地上から数十メートル潜った程度だ。
 だが、それだけで世界は絶望に侵食され腐り果てた。
 漂うのは、腐臭。
 肉の腐った臭い。
 血の腐った臭い。
 全てが死に絶え、形を崩し、在り得ぬ異形となった世界。
 そこには、本来世界で成り立つべき腐敗のメカニズムなど存在していない。
 あるもの全てが絶望という悪意に犯されるのみ。
 人など在る筈もなく、生物など存在できるはずもなく、ただ腐り果てた異形がそこにあった。
 例えるならソレは蟲の形をしている、というのが妥当か。
 8から10本、中には奇数と対になっていないモノさえある節足を戦慄かせ、世界を奇妙に闊歩する。
 複眼のモノもあれば、単眼のモノもある。
 全身を覆う外殻は粘液質な液体で塗れ、光なき世界でいて鈍くてかる。
 もぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞ……
 地に張り付いた足が浮き、体を擦り合わせ、音を立てる。
 もぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞ……
 吐き気を催す大気と怪音の中で、蟲たちは一箇所に集まっていた。
 その中心では何か水気を帯びたような音が響く。
 クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ……
 久々の外からの食事。蟲達は争い、奪い合う。
 クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ……
 喰われるのは憐れな闖入者。
 だが既に足掻くこともなく、喘ぐ言葉もない。
 もぞもぞもぞもぞもぞもぞクチャクチャクチャクチャクチャクチャ……
 恐らく、断末魔をあげる暇すらなかったであろう。
 千切られ、裂かれ、啄ばまれ、噛み砕かれ、呑みくだされ、腐敗する。
 暖かい体温を残したまま腐り始めたそれは、不気味な色合いへと変化する。
 ドロリと、眼球が溶けて外に流れ出た。
 すかさずそれに一匹の蟲が喰らい付く。
 嫌な音だった。
 半熟卵のようだった眼球も、僅かながらに硬さを残していたのだろう。
 あらぬ方向へと曲がっていた闖入者の腕が、啄ばまれた勢いで立ち上がり、本体と完全に分断され、奪い合いによって輪の外へと投げ出された。
 外側にいた蟲が、一斉に腕を喰わんと押し寄せる。
 瞬く間に、白と黒を混ぜた色をした骨が覗き、食い尽くされる。
 当然の弱肉強食。
 地下世界では何ヶ月かに一度必ずある、さして珍しくもない光景。
 その光景を少女は冷たい視線で眺めていた。
 少女の周囲に蟲はいない。蟲供が避けているのだ。
 少女も自ら食事の輪に入ろうとも思わない。
 普段は共食いでしか生きられない生物なのだ、邪魔をすることもあるまい。
 蟲達は忙しなく動き回り、飛び散った肉片を喰らう。
 大方の食事は済んだのだろう。
 輪は無くなり、分散してゆく。
 それでいて尚、少女の周りには輪ができていた。
 所詮弱肉強食。
 強い者の近くには寄ろうともしない。
 もぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞ……
 閉ざされた狭い空間で蟲達は戦慄き、奇怪な音で闊歩する。
 少女にはそれが可笑しかった。
 これだけの、ただこの場にいる数十匹を地に放つだけで、地上に存在する殆どの生物を死に追いやることができる。なのに――
 もぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞもぞ……
 蟲供は暗い地の底で互いを喰い合いながらその生を紡いでいる。
 地下であれば人など相手にならないのに、太陽の光を浴びてしまえば焼け爛れて死んでしまう。
 可笑しい。
 なんて可笑しいんだろう。
「くくく、ははは、あははっははははっはははははははははははは!」
 だから笑う。
 所詮井の中の蛙なのだ。
 誰にも知られず、ただ閉ざされた世界で猛威を振るい――そしてその世界でしか生きられない。
 なんて弱い生物なのか。
「ははは!あははははははは!」
 止まらない。
 止めることなどできない。
 こんなにも可笑しいのだから。
「あはははははははははははははははははっ!」
 少女は狂っていた。
 少なくとも、蟲達を笑い続けるその限りにおいては。
 何故なら、
 少女も蟲も同じ蛙でしかないのだから――






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